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■ 移住者の声

地産地消促進を目指す食品加工場&カフェ

久保拓也さん、聡子さん

社会の将来を見据え、古座川町から始める「さとたく」の挑戦

名古屋生まれ東京育ちの久保拓也さんと、東京で生まれ育った聡子さん。2021年5月末に古座川町へと移住し、地産地消の促進を目指す食品加工場&カフェ「さとたく」を2023年1月にオープンした。ツバメをモチーフにしたロゴは、ものづくりが得意な拓也さんが自らデザインし、「自分たちが定住することで、この土地に何か良いことがあるように」という思いが込められている。
久保ご夫妻のお話しからは、ご自身にとっての心地良い生き方や働き方を納得のいくまで問いかけ、念入りに準備を重ねてきた移住の背景がうかがえる。お二人が「さとたく」にかける思いや、思い描いているビジョンについて、一つひとつ丁寧に語っていただいた。

「家主さんがこの家をとても大切にされていたので……」
古民家の面影残る、地域の新しい食品加工場「さとたく」。

-いつ頃から移住しようと考えていましたか? また、古座川町を選んだ理由を教えてください。

拓也さん:移住を考え始めたのは2007、8年くらいですかね。具体的に準備し始めたのは2017年以降です。ルーツが紀北にあり、和歌山は移住先の候補の上位に入れていました。南のほうには祖父母が亡くなってから初めて来たのですが、移住先を探して回っている時に一番サポートしてくださった方が古座川に移住されたりして。近くに知り合いがいることが理由の一つになりました。あとは緑が多くて、人が少なくて、農産物がちゃんと取れる場所というふうに絞っていくと、意外と和歌山しかなかったりして。

-拓也さんから移住の話を聞いたときはどんな気持ちでしたか?

聡子さん:初対面の時から「僕は和歌山に行って、和歌山のために何かをしたいです」というのを言っていたので、これは本気だなと思っていました。面白そうだなと思っていましたし、全部上手くはいかないだろうけど、一度の人生なのでやってみようかなと。夢いっぱいで来たかっていうと、そうでもないので。もうお互いに人生でいろいろと経験し、挫折を繰り返してきたので(笑)。

「さとたく」近くの風景。お店の前には清流古座川が流れている。

-移住してきて印象的だったことはありますか?

拓也さん:食材の新鮮さに一番驚きました。お肉や卵はどうしても外から来るものが多くなるのですが、魚なんかはやっぱりすごく新鮮ですね。野菜も、東京だと買えない値段で手に入らない品質のものがあるので。

基本的には想定していた以上の環境だったので、不便というのはないんですけれど。驚いたことがあるとしたら、今住んでいるのが少し奥地にある住宅なのですが、2か月に1回ある地区の大掃除の時に、家の水道が出なくなることには少し驚きました。

聡子さん:すごい水圧で道路脇の溝を掃除するみたいで、(住宅に水が行き渡らなくなり)その日の朝は水が出ないこととかがあるんです。

-お二人のお店「さとたく」を始めた場所にも思い入れがあるようですが、どのような経緯でここでお店を開くことになったのですか?

拓也さん:空き家を見つけるのが一番ハードルが高いと思っていたのですが、移住して間もなく家を紹介していただいて、9月には大家さんにお会いしてその場でお譲りいただけることになりました。

聡子さん:空き家バンクにも登録されていない方だったのですが、自分たちがしたいことを資料でiPadにまとめていて、説明をしたら「そういうふうに使ってくれるんだったら」という感じでした。

拓也さん:家主さんがこのお家をとても大事にされていたので、家にあったものは可能な限り使おうとしています。ここが元々畳の部屋で、畳を外した後に残る敷居が材料としてしっかりしているのでテーブルの脚にしたり、障子とか扉を3枚繋げてコワーキングスペース用のパーテーションにしたり。使い道は時間をかけると意外と見えてきたりするので、できるだけ処分しないで取っています。

左の看板に描かれているのは、拓也さんが自らデザインしたツバメをモチーフにしたロゴ。
「自分たちが定住することで、この土地に何か良いことがあるように」という思いが込められている。


障子と扉を繋ぎ合わせたパーテーション


「僕はお店の空間を、妻は商品の完成度を」
お互いのスキルをかけ合わせ、その土地に必要な場を作る。

-移住後に何をするかは移住前から決めていたのですか? また、起業するにあたって不安などはありませんでしたか?

聡子さん:何屋さんをするかは決まっていないんですけど、自分たちだったらこんなことができるかな、というのを考えながら準備をしていました。

拓也さん:一般的に、働く時って就職した会社で割り振られた仕事をすると思うんですけれども、僕も妻も意外とできることがいろいろあるので、業種とかで仕事を絞られると能力を発揮できない部分が割と多くあると感じていたんです。それなら無理してどこかに勤めるよりは、自分たちのできることと親和性の高い土地に行って、自由にできることをするほうがより良く生きられそうかなと思いました。

僕はこれまでパソコンを使った仕事をしていたり、デザイン系や建築を学んで雑貨屋さんで働いていたりするので、お店作りや接客というところに携わっています。なので、僕は空間としてのお店の完成度を上げて、妻は過去に給食を作っていたり、食に関する知識や経験が高いので商品の完成度を上げて、といった具合でお互いにバランスを取ってやっている感じですかね。


-そのような移住後のイメージを持ちつつ、移住直後、拓也さんは地域おこし協力隊として働かれていますよね?

拓也さん:はい。やりたいことは決めていたものの、すぐに始められないということは二人ともわかっていたし、空き家探しが一番難航すると思っていたので、比較的安定した働き口として地域おこし協力隊になりました。最長3年しか任期がないですが、やりたいことが決まっていてプランもある状態なので、いいかなと。地域おこし協力隊の期間があったおかげで、地元の方々や、協力していただける方々に出会えたのは大きいですね。心配していたお店の物件もすぐに見つかりましたし、移住後はポジティブな想定外ばかりでした。

聡子さん:ご近所さんが3軒くらいしかなくて、全然ギスギスしていないですし、かわいい柴犬がいたり、近くに住んでいる方もすごく優しくしてくださります。

拓也さん:コミュニティーでつまずくんじゃないかと心配していましたが、そういうこともなく、たぶんみなさんが想像するような苦労はあまりなかったです。まあ、移住前からわかっていたことですが、本屋さんとか美術館とかはあるといいですね。

改装中の「さとたく」店舗

-拓也さんが地域おこし協力隊をされている間、聡子さんは農家さんを探して回ったり商品の試作などをされていたのですか?

聡子さん:回ったというよりも、いろんな繋がりで食材をいただける機会が結構多くて。いただいた食材を使ってすぐに作って、できたものを持って行っていました。私は働いていなかったので、私自身を知ってもらうという意味もありましたね。「作ったのでどうぞ」って持って行っちゃうタイプなので、それが良かったのかなと思うんですけど、もし何も動いていなかったらずっと家でどうしていただろうという感じです。

拓也さん:地域おこし協力隊として古座川町観光協会で働いていましたけど、仕事柄関係のある方がある程度定まってくるので、一年後くらいにはもう妻のほうが人脈が広くなっていましたね。

「夢はでっかく、全国のいろんな田舎で『さとたく』ができれば」
地域と、自分たちの心地良い暮らしを実現するためのアイディア。

-お話をお伺いするなかで「和歌山のために何かしたい」「より良く生きる」といった言葉があったと思います。久保さんが大切にしている働き方や生き方について、もう少し詳しく聞かせていただけますか?

拓也さん:近江商人の「三方よし」じゃないですけども、お金をもらって仕事をするのが、結局誰かの困りごとを解決するというところにしか行きつかないのであれば、社会課題を解決するのもそうですし、社会に負荷を与えずに仕事をするのも大事で、むしろそれが避けられない時代になっていると思うんです。

個人的な話になってしまうのですが、1992年の地球サミットで女の子がめちゃくちゃ響くスピーチをしていて。「子どもを愛していると言いながら、大人は何もしていない」と。僕もそうだと思っていたし、よく言ってくれたという感じで聞いていました。

じゃあ、いざ社会に出たときに、若いうちは社会を知るためにと半ば言い聞かせて働いているんですけど、30代くらいになってくるとそれが当たり前になってきて。要は、就職活動というのは結局市場に野菜を撒いているのと一緒で、自分に値段をつけてくれるところを必死で探しているだけなんですよね。何か自分にわかりやすい価値を加えない限り、自分の市場価値って年と共に下がっていくだけなんです。それって何かおかしいよねと思って、また原点に帰るんですよね。

用意されたミッションをこなした先にあるのはお金儲けで、その副産物としてゴミが出る。そうやって社会を回すのが仕事かと思うと、結局何もやってないじゃないかと。市場価値とは別の、自分の価値って何なのかと自分に問いかけた時に、今ある場所から出ていくしかないと思ったことが移住の背景にあります。

※三方よし:江戸時代から明治にかけて活躍した近江商人が大切にしていた、「売り手によし、買い手によし、世間によし」の精神
-反対に、拓也さんにとって「何かしている」と思えるのはどのような状態ですか?

拓也さん:自分たちが引っかかっていた思いをちゃんと整理して、疑問を抱いていたことはしないという線引きをした上で、将来の子どもたちの糧になるようなコミュニティーや環境、拠点を形作ることができて初めて、仕事をしたと言えるかなと思っています。



-久保ご夫妻が思い描く、この地域で「さとたく」がに担う役割と、 実際にお店を始めてから実感していることを教えてください。

拓也さん:食材が流通されずに残ってしまったり、賞味期限を迎えて捨てられてしまう状況があるところに活路があると思っていたので、そこに妻のスキルが合わさることで、今まではあふれてしまっていた食材が価値を持った状態で、新たなルートで流れていくというイメージを持っています。

聡子さん:お店を始める前から「自分たちでは手が回らないから、そういう加工場があれば嬉しい」というお話を農家さんから伺っていましたし、実際に「助かっている」と言っていただいています。今年、育てていた野菜を野生動物に食べられてしまった農家さんがいたんですけど、「また来年待っています」と言うと「そう言ってくれる人がいるから頑張って作れます」というふうに仰ってくださいました。

拓也さん:最近は町外のイベントに声をかけてもらうことなどもあり、活動次第でいろいろな横の繋がりができるんだなと感じています。外から来た人のほうが自由な広がりができる機会がある気がするので、そういう人ほどあまり地域に縛られないほうが良いんじゃないかなと思いますね。

今はまだこの事業だけでやっていけるわけではありませんし、ロケーションとして、交通機関がないというのは当然足かせにはなっています。ただ、それもアイディア次第ですし、社会や環境のことにみんなが気を遣い始めている時代背景のなかで、ちゃんと抑えるべきところを抑えていたら、その土地の人たちとの繋がりや実績を積み上げながら、生きていけるという妙な安心感があります。

-今後の展望について教えてください。

聡子さん:夢はでっかく、古座川町で「さとたく」が成功した際には、全国の過疎地で「さとたく」のようなモデルの事業を伝えていけたらなと思っています。たとえば、農家さんのお子さんがUターンして働く選択肢の一つとして加工場をするなど、便利な都会ではなくても楽しく生きていけるというケースの一つになれば嬉しいです。



【編集後記】

拓也さんの思いに対して「一度の人生、面白そうだから」と、移住後の暮らしに期待し過ぎるわけでもなくフラットに賛同する聡子さん。スキルの面だけでなく、お話しから垣間見えるお二人の関係性からも、お二人のバランスの良さを感じます。お店は今年(2023年)オープンしたばかりですが、すでに地元の方々を中心に「美味しい」と人気が広がりつつあります。和歌山の南方にお越しの際は、ぜひ営業日をお確かめのうえお店に立ち寄ってみてください。