■ 移住者の声
林業・木工デザイン(亨紀さん)/地域おこし協力隊(紗梨さん)
片岡亨紀さん、紗梨さん
空き家の活用と、木の仕事
古座川町出身の片岡亨紀さんは、生まれてすぐに千葉県へ。子どものころから度々、祖父母が暮らしている古座川町に遊びに行き、いつしか「木に関わる仕事がしたい」という気持ちを抱くようになった。大学、就職と関東での生活を続け、2021年1月に古座川町に移住。翌月には林業の仕事を開始。古座川町の地域おこし協力隊として活動する奥さんと二人で暮らしている。
田舎暮らしを始めるにあたって、ネックになるのが住む家と仕事。空き家を改修し、夫婦共働きで生活する片岡さんご夫妻に、移住までの経緯やお仕事の内容、暮らしの実感について伺った。
「いつか木に関わる仕事がしたい」。
子ども時代からの思いと、祖父の姿に移住を決意。
-古座川町で暮らすことにした、きっかけと経緯について教えてください。
亨紀:ほぼ毎年、夏休みとかにこっちに来ていて、高校生ぐらいのときから漠然と「いつか木に関わる仕事がしたい」と思っていました。東京農業大学の森林学科出身なんですけど、当時から今の木材は価値が低くてあんまり売れないのがわかっていたので、自分で作れるようにならないと駄目だなと思って木工デザインの会社に就職しました。
そこから5年くらい経って、80代後半の祖父と一緒に山を歩いたときに祖父が「体力落ちたわ」って初めて言ったんですよ。もともとすごい馬力のある人だったので、そろそろ引き継ぎを考えた方がいいのかなと思ってこっちに来ました。
-紗梨さんは東京出身ということですが、移住の際に心配事などはなかったですか?
紗梨:仕事を辞やめないといけなかったりちょっと準備は必要だったんですけど、来る前は、やってみよう、行ってみよう、みたいな感じでしか思っていなくて(笑)。住んでみてから、今までの暮らしとのギャップを感じました。良いところもあるし、虫が多くてクモとかもビックサイズで出てくるので驚くときもありますけど、慣れたらいいかなと思っています(笑)。
「協力しながら必死に働いています」。
林業の仕事は通勤が大変。命がけの職場で木と向き合う。
-お仕事は何をしていますか?
亨紀:林業をしています。最終的には自分で木を切るところから作って売るまで、六次産業化をしたいと思っているので、今は木の切り方とか搬出の仕方を勉強しています。事務所は新宮市にあるんですけど、基本的に職場は山の中です。今は那智勝浦町色川の小阪に行っています。ここから大体1時間ですね。その前は本宮町の静川で、川湯温泉から20分くらい山の中に入ったところなんですけど、2時間ちょっとかかっていました。その前は九重というところで、1時間半くらいかかりましたね。山は基本遠いです(笑)。
定性間伐といって、全部の木を切るんじゃなくてわるい木だけを切って、それをチップにして販売しているので、いらない木を全部切り終わったら次の場所に行きます。今の現場が終わったら、次は古座川の松根だと思います。町内でも40分くらいかかります。古座川の森林面積は、なかなか大きいですね。
-通勤時間が長いのは大変ではないですか?
亨紀:千葉とか埼玉から東京の職場に向かっていたときも、電車で1時間くらいかかっていたのでそこまで苦ではないです。ただ、僕も妻もペーパードライバーだったので、1時間半かけて運転しているときは毎日ドキドキしていました。来たときは車も持っていなかったので、初めは全然動けなかったですし、そこはかなり苦労しましたね。1台は自分たちで買って、もう1台は林業の先輩に軽トラを譲ってもらいました。
就職するまで1か月くらい時間があって、古座川は信号がなくて車も少なく、自分のペースで運転できるので良い練習にはなりましたね。
-仕事内容や職場環境はいかがですか?
亨紀:8時から5時までで、基本的に5時ぴったりに終わります。もちろん超過したら残業代は出るんですけど、残業しないで帰るというのが会社の方針ですね。7人くらいのグループで動くことが多くて、そのうちの3人が地元の方です。ほかは18年前に色川に移住してきた方が一人と、単身赴任で九州から来ている方が一人。あとは神奈川から移住してきた方と、自分が千葉という感じですね。
年齢は一番近い人でも一回り離れています。その分、優しく教えてくれるというか、こっちがやる気を持っている分だけ色々教えてくださりますね。見て覚えるみたいなやり方でもなく、ちゃんと説明して教えてくれます。そもそも労働環境自体が相当きついものなので、厳しいといえば厳しいです。いろんな無駄を省きながらしっかりと仕事をしないと、自分の命の危険にも関わってくるものなので、協力しながら必死に働いています。
紗梨:今年の6月から「七川ふるさとづくり協議会」で地域おこし協力隊として働いています。地域の人と関わることが多いので、町やその地域の人を知れるのはありがたいなと思っています。一番初めは鮎の放流に参加したり、今やっているのは空き家の調査。空き家の数自体は沢山あるんですけど、やっぱりお風呂やトイレの水回りは修理が必要なところが多いです。
あと活動拠点がカフェをしているのでその運営とか、今まで経験してこなかったことが多いです(笑)。地域をおこすって、思っていたより大変だなと思う部分もあるんですけど、3年という期間の中で自分も楽しみながら地域を盛り上げていけたらと思っています。
「休日は、家事とこの家の改修作業をしています」。
住み始めて実感した生活の違いと、田舎暮らしの楽しさ、大変さ。
-古座川町で実際に暮らしてみて感じる、良いところとわるいところは何ですか?
亨紀: 良いところは、食べ物が美味しい。スーパーに行けば串本港で獲れた鮮魚もあるし、野菜は無人販売で手に入ったり、近所の方が採れたての野菜をくれたりとか、新鮮な食材が手に入るのはすごく嬉しいですね。買い物は車で行かないといけないので面倒ではありますけど、普段1時間以上運転している身からすると大した距離には感じないです。インターネットもあるので、そんなに不便は感じていないです。とにかく静かで、落ち着いて生活ができるのも良いと思います。
人との距離感は近いですけど、思ったほどではないです。ある意味、都会以上にコミュニケーション能力は必要かもしれないですね。最初は家のインターホンが付いていなかったので、取り付けるまでは急に入ってくるか、大声で呼び出されるかのどちらかでした。都会で住んでいたときにはなかったので、そこはちょっと嫌だったかもしれないですね(笑)。
紗梨:季節のものをいただいたり、筍や栗を採りに行ったり、そういう季節を感じることが多くなったかなと思っています。都心にいると、スーパーに行って「あ、野菜変わったな」と思うくらいなので。夫の家族や近所の方にサポートしてもらったりして、なんとか楽しく生活できている感じですね。
-お休みの日はどんなふうに過ごしていますか?
亨紀:のんびりしていることが多いです。共働きなので、掃除とか草刈りとか家事もしていますね。あとはDIY、この家の改修作業です。床を張り替えたり、壁紙を貼ったりという作業は自分で勉強してやります。家探しは一年くらいしていたんですよ。コロナの緊急事態宣言が明けた後の、ちょっと動ける時期にこっちに来て調べたりして。少ないチャンスなのでいろんな人に「住む場所を探しているんです」と言って回っていたら、たまたまここを貸してくださった方の耳にも入って、貸してあげるよと。
何十年も前の話ですが、ここはもともと宿だったみたいで。14部屋くらいあって、使っているのが5部屋くらいですかね。車がないくらいの時代に、古座川の河口付近まで歩いて出たりとか、もしくは薬屋さんがこっちまで歩いてきたときに、中継ポイントとして泊まっていたみたいです。
-移住を考えている方へのアドバイスはありますか?
亨紀:移住自体はトータルで言うと楽しいし、ゆっくり過ごせてリラックスできます。でも思ったよりいそがしいのと、空き家に住むのは結構大変だと思います。僕はたまたま自分で改修できる範囲の空き家を見つけられましたけど、すぐに住めるわけではないですし。妻が来る1か月くらい前に来て、祖父母の家に泊まらせてもらいながら色々改修して、ようやくという感じでした。パンフレットに載っているような補助金も、条件が厳しかったりするのですぐには使えないと思いますし、空き家の家賃がどれだけ安かったとしても手直しするところはあるので、資金面は気をつけた方がいいと思います。
インターネット上には載っていない情報も多いので、実際に来て自分の足で回ってみるのが一番良いのかなと思いますね。今であれば、役場や七川ふるさとづくり協議会に相談したら短期宿泊施設も紹介してくれるはずです。移住者同士の繋がりも広がりつつあると思うので、失礼にならない程度に先輩移住者を頼ってみると、何かしら手助けしてもらえるんじゃないかと思います。
【編集後記】
林業に携わっている片岡亨紀さんと、地域おこし協力隊の紗梨さんに、移住ほやほやのお話をお伺いしました。亨紀さんが見てきたおじいさんの姿には、きっと心惹かれるような格好良さがあるのでしょう。空き家を活用した暮らしやお仕事の難しさも楽しさも味わっているご様子のお二人。温かく取材に応えてくださり、ありがとうございました!