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■ 移住者の声

フローリスト花はる 店長/古座川町観光協会 会長

須川陽介さん、美香さん

子どもたちが誇れる故郷へ

陽介さんはもともと同じ紀南地域の和歌山県那智勝浦町のご出身。大阪の大学を卒業したのち、建設機械のレンタル会社に就職した。岐阜県の営業所に配属され、3年間の勤務を経て父親のお店を継ぐことを決め2010年に帰省。
同年に広島県出身の美香さんと結婚し、現在は4人のお子さんがいる6人家族。本店を那智勝浦町に置く花屋「フローリスト花はる」の古座川店を夫婦で営む傍ら、古座川町観光協会の会長としても活動している。

「一代で終わらせるのはもったいないと思ったのがきっかけです」。
機械レンタルの営業から花屋へ。親と同世代の人と話すうちに見えてきた本音。

-古座川町に来るまではどんなことをしていましたか?

陽介:大学を卒業したあと、本社が和歌山県新宮市にある株式会社キナンという会社に就職しました。主に建設業とか土木さんに営業に行って、工事に必要なものを貸すということをしていました。もともと地元に帰りたい気持ちもあるし、工学部を専攻してて土木関係の会社に入りたいというのもあるなかで、まず面接を受けた会社がそこやったんです。社長さん(現会長)と話したときに「この人の下で働きたい」と思って。本社が新宮やったからというのもあったんですけど、就職して3か月で配属先が岐阜でした(笑)。

-現在は、お父様が開業した花屋「フローリスト花はる」の古座川店を営んでいるということですが、戻って来ようと思ったきっかけは何ですか?

陽介:大卒で入社したんで若かったんです。営業に行った先で対応してくれるのが大体50代そこそこの社長さんなんですけど、たぶんその人たちの子どもと僕の歳が近いのもあって、子どもには言えんけど僕には言うっていうような話があったんです。

「仕事はきついけど、やっぱり継いでほしいんや」とか「若い人はどう思ってんの?」みたいな。それを聞いて、自分の親もこんなふうに思ってんのかなって重ねたところで、店を一代で終わらせるのはもったいないかなって思い始めたのがきっかけですね。

-移住したのが2010年。同じ年に美香さんも広島から来て結婚したということですが、生活の不安や迷いなどはありましたか?

美香:ありました。誰も知り合いがいないし、私も実家が自営業なんで大変なのもわかるし。実家は田舎なんですけど職場は広島市内の便利なところだったんで、そういうところの暮らしが好きやったっていうのもありました。

でも(主人が)継ぐって決めてたんで、しょうがないかなと(笑)。基本的にはめっちゃポジティブ思考なんで、どうにかなるだろう精神でここに来ることを決めました。楽しみだったのは海の近くに住めるっていうことと、暖かい地域やから良いかなと思いました。

「子どもが自分の町を胸を張って話せるように、いま活動しています。」
生活の実感と、観光協会会長として活動をする理由。

-古座川町で暮らしてみて、困ったことや感じていることを教えてください。

陽介:勝浦よりはちょっと田舎やけど、生活の面で困ったこととかは特にないですね。地域柄で言ったら、こんなに近い地域ですけどお金の使い方とか派手さとかの違いはあります。

結婚式とか葬儀にしても、勝浦は派手でこっちの人はわりかし質素なんですよね。あと子どもへの関わり方は近い気がします。運動会でも、親だけじゃなくて近所のおじいちゃん、おばあちゃんが来て一緒にやるんです。

美香:最初は方言がわからなくて言葉の壁がちょっとありました。でも顔見たら声かけてくれる人が多いし、近所付き合いは楽でした。地元のご飯を持ってきてくれたり、そういうところで郷土料理とか地域のことを教えてもらったりしましたね。

陽介:楽ととるか嫌ととるかはその人次第やと思うんですけど、田舎特有のやつですよね(笑)。もらって、返して。僕らはそれが普通なんですけど、たぶん都会から来た人は大変やろうなと思います。

-古座川町観光協会の会長もされていると思うのですが、それはどうしてですか。

陽介:町に観光協会がなかったので、そういう組織が要るよねっていう話があったんです。僕は森林組合や商工会、地域の旅館さんとかの意見交換会みたいなのに入ってたんですけど、そこが観光協会の発起人会みたいなのになって、民間主導でやりたいのもありましたし最終的には流れで会長になりました(笑)。

自分は勝浦出身なんで、言い方わるく聞こえてしまうかもしれないんですけど、どっちかというと故郷は勝浦なんです。でも父親なんで子どもは違うんですよね。平成の大合併のときに古座町が串本町とくっついて串本町古座になったんです。

大学の友だちがたまたま古座町出身やったんですけど、「なくなったんです」って言ってるのを今でも覚えていて。名前やけど故郷が一つなくなった、みたいな。そういう思いは子どもにはさせたくないと思っていて、郷土愛のある子どもに育てたいというか、生まれ育った町に誇りを持ってほしくて活動してる感じですね。

「古座川町でしかできない学びの教育方針に共感しています」。
子どもを育てる環境としての古座川町。

-お子さんはいま何歳ですか?また、子育てはしやすい環境だと思いますか?

美香:8歳と6歳と、双子で4歳の子がふたりです。うちは、一番上のお姉ちゃんが持病があって病院に通わないといけなかったんですけど、大きい病院がないっていうのが大変。今も大阪まで通ってるんですけど、最初の頃は大阪にマンション借りて住んでました。

陽介:そうですね、医療はかなり脆弱なので不安はあります。持病があるんでほかの合併症とかが起きる可能性があるからかもしれないですけど、あんまり診てもらえなくて38度の熱が出ただけでも大阪まで通ってました。どうしようもないですけどね。持病がない子の親もそこは少なからず不安に思ってるとこちゃうかな。

-そのほか、学校などの面ではいかがですか?

美香:地域に子どもが少ないから、同級生が少ないっていうのはちょっと可哀想かもしれないです。でも、少ないなりに男の子も女の子も学校全体が仲良いし、先生もしっかり見てくれるんで安心して任せられます。あと子育て支援センターにはすごくお世話になって、相談しやすいし、親同士の交流もできるので友だちが増えました。

陽介:親も少ないけど、少ないから逆に、多いとできない付き合いもできるので良いかもしれないですね。あと今の高池小学校の教育方針がすごく好きなんです。挨拶日本一の小学校を目指していたり、子どもに地域の田んぼの稲刈りをさせたりクマノザクラの学習をしたり。日本ミツバチの養蜂の体験とか、古座川でしかできないことをやってくれてるんですよね。ここに住んで教育する価値は非常にあるんやろうなと思っています。

-どんな人に移住して来てほしいと思いますか?

美香:子どもさんのいるご家族が移住してくれればにぎやかになるし、良いですね。

陽介:確かに子育て世代が来るのが一番入りやすいかもしれないですね。すぐ親同士の友だちもできるし、そこから関係が広がるんで。待機児童もないですし(笑)。田舎に関してはどこに移住しても同じやと思いますけど、やっぱり田舎には田舎の付き合い方があるので、挨拶とか人付き合いができる人でなければ大変だと思います。

基本的には、地域の人も移住者に対して大事にせなあかんっていう考え方なんやと思うんですけど、長い付き合いを見越してる人が多いと思うんで溶け込んでいくのに時間は必要やと思います。誰とでも話とか付き合いができる人であれば、若かろうがお年寄りであろうが誰でもかまんですよ。

【編集後記】

今回、古座川町での暮らしが10年になる須川さんご夫婦から、生活のありのままの実感を聞くことができました。医療など、人口の少ない地域が直面する課題がある一方で、少ないからこそできることもある。読んでくださった方、お一人おひとりに合う暮らしの場が見つかれば幸いです。